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家族との別れ・母の49日

母の好きな小樽の旅館前で記念撮影
母の好きな小樽の旅館前で記念撮影

 

母が92歳で亡くなってから2年半が過ぎました。

 

札幌の施設に入っていたのですが、コロナ禍の前までは年に2回位の気候が良い時に二人で旅行に出かけていました。

 

母に「どこに行きたい?」と聞くといつも「どこでも良いよ。」と答えるので、母が生まれ育った小樽や私が子供の頃によく連れて行ってくれた札幌の円山動物園や北海道神宮等に行き昔の思い出を話しながら過ごしていました。

 

ある時「小樽の港が見たい」と母が言うので、港が見えるところで車を停めて船を見てると

子供の時に母のおじいちゃんがよく船を見に連れて来てくれたこと、おじいちゃんにとって初孫の母をとても可愛がってくれたことを船を見ながら嬉しそうに楽しそうに笑顔で話していたのを思い出します。

 

きっと、この頃の母はとても幸せだったのだと思います。

 

コロナ禍になってからは外泊や外出はもちろん家族でさえも面会は施設の建物の窓越しでしか会うことで出来なくなってしまいました。

会いに行くと母は「今は辛抱の時だから我慢だね。」と言い「いつかまた二人で旅行しようね。」が二人の合言葉の様になっていました。

 

2022年の秋9月頃に母は体調を崩し入院していましたが、数ヶ月で回復し施設に戻り面会もできる様になりました。

私は札幌に母に会いに行く準備をしていましたが、帰省する2日前に母の体調が急変し施設で亡くなったと知らせがありました。

 

「もう少し待っていてくれれば‥」と言う思いがわき上がりました。

 

翌日、札幌に行き斎場で眠る母に会いました。

最後は施設のスタッフさんに見守られて、苦しむこともなく息を引き取ったとのこと。

 

安らかでやさしい寝顔でした。

 

午前中の明るい時間に去って行ったのは明るく冗談好きで子供のようなところがある母らしい最後だったと思います。

 苦しんだわけではなかったようですので、のこされた者にとってはそれだけでも救いです。

 

私には姉が二人いますが、二人とも事情がありその夜は来れず、斎場の職員さんも帰ってしまい大きな斎場に母と私の二人きりになりました。

 次の日は弔問客が来ますので、母と二人でいられる最後の夜です。

 

横たわっている母に「お母さんと『また二人で旅行しよう。』って約束してたから、二人で旅行に来てるみたいだね。」と話しかけました。

 

『そうだねぇ。また旅行に行きたかったものねぇ。ナルちゃんと旅行に来てるみたいでしょ。』と、声が聞こえます。

 

「お姉ちゃん達は今日は来れないって。明日は来れるよ。』と私。

 

『そうかい、またみんなに会えるね。』と、母の声。

 

母は声だけではなく、薄ぼんやりとした実態のない感じで私の横にいて生きている時と同じ様にしています。

 

「お母さん、私シャワーを浴びるけど一緒に入る?」と言うと、

 

一緒に浴室に来てシャワーを浴びて『ナルちゃん、気持ちいいねぇ。』と嬉しそうです。

 

「お母さんは自分で立ってシャワーを自由に浴びることが難しくなってんだなぁ。肉体のままで二人で旅行することはもう難しかったナ。」と思いながら、嬉しそうに気持ちよさそうにシャワーを浴びている母を見てました。

 

 

 

さて、この状況に「これは私が勝手につくっている幻覚幻聴幻影か?」ともちろん思いました。

が、エネルギー体として側にいるのを感じますし見えます。

 

『気配』というよりは濃厚で、『人』というよりは薄いエネルギーです。

 

透けていますが 見えます。

肉眼と第3の目の両方で見ているという感じです。

 

母のエネルギー体という感じです。

 

時々、いなくなる時があったのでそんな時は色々な人に会いにどこかへ行っていたのだと思います。

 

 

母は何だかその状況が楽しそうでした。

 

元々子供のように無邪気なところがありあまり考えない人でしたから肉体から解放されたことを楽しんでいる様です。

ただ、なぜそんなことになっているのかはまだ理解できていない感じ。

 

過去生セラピーの経験から見て、人は死ぬ時に自分が死ぬことを理解している人と理解していない人がいる様です。

 

母の場合は理解してないようで、生きている時と今の自分に多少の違いはあってもそこに疑問は持たずに今の状況を楽しんでいる様でした。

今まで肉体に色々な制限があったのですから、急にどこでも行ける様になり 肉体的にできなかったことがスムーズにできる様になることを楽しむのは当然かもしれません。

 

つづく