今から20年以上も前のことになる。
当時はまだ関東にいて、普通に会社員として働いていた。
仕事は東京の池袋、住まいは田園都市線沿線だった。
20年前のスピリチュアル事情というのは、やっと「癒し」という言葉を使っても怪しい人だと思われなくなってきている程度で本も今ほど沢山はない時代だった。
私は自分の中にある真理をずっと何かに探しているような状態で、主に本と日常の中で答えを見つけ出そうとしていた。
子供の頃から私は原因不明の腹痛、発熱、疲れがあり高校生の頃からは加えて、腰痛と1月の内の3週間位はずっと風邪のような症状が続いていた。
そう言えば、小学校の時のツベルクリン反応もほとんど赤くならず、毎年、BCG注射の対象者になるのだが、BCG接収当日には必ず熱が出て3年間位は受けなかったような気がする。
そんなわけで、成人してからも原因不明の体調不良はよくあり、その時読んでいた本もスピリチュアルな観点から理由がないものかと本を読み漁っていた時のことである。
なんと言う題名だったか忘れてしまったけれど、その本にはエネルギー的影響等で発熱や風邪のような症状になると言うことが書いてあって、私が納得する答えがあった。
そして、その本の中には「あなたの周りにはいつも天使がいます。」なんてことが書いてあった。
私は子供の頃から「私の神様」や八百万の神や土地の神や精霊はいると思っていた。でも、その本に書いてあったのはいわゆる「西洋の綺麗なキラキラした大きく白い羽が生えている天使がいるんですよ」的な感じのことが書かれていた。
私はそのふわふわキラキラした白い羽の生えている天使というのは、西洋のおとぎ話に出てくる作り物だと一蹴し、そんな子供騙しのものを信じるとかいるとかいうことがバカバカしいと思っていた。
「そこは違うでしょ。天使などいるわけない。」
出勤途中でそんなことを考えながら、仕事に向かった。仕事の休み時間もその本を読み「天使は本当にいます」という章に心の中でずっと異論を唱えていた。
その日は何かとスムーズに仕事が終わり、池袋の山手線の乗り場に向かった。まだ少し明るいうちに帰れることがちょっと嬉しかったのを覚えている。ちょうど良いタイミングで電車が来たので乗り込むと私の好きな座席の端が空いていた。
「やった!これで渋谷まで本をゆっくり読める」と思いながら、座ろうとすると座席の上に銀色の小さな袋が置いてあった。
「きっと子供がカードゲームのいらないカードを捨てていったのだろう。全く!」と思いながら、降りたら捨てようと思いその袋を掴んでぎゅっと握った。
「えっ?!」
袋を開けると大きく綺麗な天使の絵が描いてあり、確か「〇〇の天使は愛の〇〇剣で戦う」というような言葉が書かれていた。
「ふ〜ん、天使も戦うんだね。これって、天使が本当にいますよとかいうメッセージじゃあないよね。そんな話あるわけないよね。偶然、偶然。」
本の続きを読みながら、乗り換えの渋谷に着いた。山手線から田園都市線(新玉線)に乗り換えるには地上2階位から地下3階まで降りていくのだけど、仕事帰りの会社員達がキレイな流れを作りながらそれぞれの方向に向かっている。
私もその流れに乗って地下3階を歩いていた改札前の一瞬。。。
大きな白い羽がまっすぐ私の前に降りて来た。
もの凄い人並みの中で もの凄い風の流れの中で まっすぐに私の前に大きな白い羽が降りて来た。
そして、私の手のひらの上で止まる。
一瞬、私と羽以外の全てががスローモーションの様に見えた。
降りてくる羽の速度と懸命に歩く人並みの速度と空間が違いすぎて、世界には私とその羽しか存在しない様に感じた。
次の瞬間、時は動き出し人混みは流れ、私は歩く。
そして、手には白い羽。
「天使は本当にいます。」そう認めざる負えない瞬間だった。
その後、私の脳は言う、こんな人混みの中で冬でもあるまいし、今時誰かのダウンジャケットの羽が抜けて一度天井に舞い上がって それから 上手いこと私の目の前に綺麗に落ちてくるなんてことあるはずないよね???こんなに人がいて風も吹いていて真っ直ぐ私の手の中に落ちてくるなんてことあるはずないよね!!!
いやいや、いいのよ。たとえそれが季節外れのだれかのダウンジャケットから抜けた羽だとしても、こんなタイミングでこんなに大勢の中でこんなに綺麗な羽を手に入れられるのはきっと天使がいるからなんだ。
もう、疑わないよ。
教えてくれてありがとう。
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これ以降、私は日常の中にたくさんのメッセージをみることができる様になった。
私達の周りのあらゆるすべてはメッセージであり、気づきであり、学びであると言うことを日々実感できる様になっていった。
まずは自分と天使や目に見えない守護の存在疑わず信じることから始めよう!
そして、受け取った答えが合ってるとか間違っているとかにこだわらず、とにかく何度でも答えを求めてみよう。
そうすれば、いつの間にか真実だけが目の前にくる様になる。